YZERRはインタビューでこう語る。
『川崎は上下関係を辿っていけば、たったひとつの団体に行き着く』
その団体が『暴力団』であることは安易に想像がつく。
本記事では、国民的スターにのし上がった『BADHOP』と暴力団との関係についてまとめていく。
ヤクザとの出会い
YZERRのヤクザとの出会いは、小学校三年の時だった。
クラスメイトの顔面を蹴り上げたYZERRは、その日の放課後に顔を蹴った親からの連絡を受け家に行くことに。
行った先には『スキンヘッド・半透明のサングラス・上半身裸にヒョウ柄のコート』
これが、YZERRと『その筋の人』との最初の出会いとなる。
フッドスターとして見えた暴力団
【山川修身】
在日韓国・朝鮮人のヤクザ。指定暴力団・稲川会傘下組織である山川一家の創設者。三代目稲川会では最高顧問を務めた。
山川修身が川崎に勢力の広げたことからも、川崎と暴力団・稲川会とは切っても切り離せない関係であることが分かる。
BADHOPメンバーの中には幼少期のエピソードで、【日本刀持った友達の親に追いかけられたことある】【友達の親は手の甲までびっしり刺青入っていた】など、メンバーは幼少期から暴力団とは近い環境にいたことが分かる。
G-K.I.D『オレは鈍感で、親父(おやじ)が暴力団をやってるってことに気づいてなかったんですよ』
メンバーのG-K.I.Dは自身の過去についてインタビューでこう語っている。
オレは鈍感で、親父(おやじ)が暴力団をやってるってことに気づいてなかったんですよ。『ウチに車がいっぱいあるのは、中古車屋を経営してるからだよ』って言われてた。
メンバーはG-K.I.Dの親父さんについてこう語っている。
「小3か小4ぐらいかな。多摩川の河川敷でサッカーをした帰り道、真っ白なベントレーが4台停まってて、若い人たちが磨かされてたんですよ。で、それを指導してるのがG-K.I.Dのお父さんだった。」
BADHOPにとって、暴力団は生活するうえで非常に近い存在だったということですね!
暴対法による変化
暴対法「暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律」はBADHOPの生活にも大きな影響を与えた。
BADHOPメンバーは中学時代【カンパ】という名目で先輩達に上納金を納めていたという。
有名なエピソードでは、先輩らにタバコを勧められ、その後『お前が吸ったタバコのせいでダウンジャケットに穴が空いた。5万円持ってこい』というもので、かなり理不尽な内容である。
暴対法のしわ寄せは、末端の若者たちにも大きな影響を及ぼすことになったのだ。
そんな、理不尽なカンパは当時のBADHOPメンバーを追い詰め、メンバーは犯罪に手を染めることになる。
そして、BAD HOPが中学校3年生の時、彼らを含む仲間達20人ほどが一斉逮捕。
罪状は、ひったくりや空き巣など数十件に及んだが、実際はこれは氷山の一角だったという。
人生の転機は高校生ラップ選手権
『優勝したら、川崎の外の大人が守ってくれるよ』
この言葉に半信半疑ながらも高校生ラップ選手権初代チャンピオンになったt-pablow。
ここから、BADHOPは大きく変わっていくことになった。
そして、BADHOPは日本を代表する伝説的なHIPHOPグループとなった。
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